巻号 |
著者名 |
論文名 |
ページ |
本文(PDF) |
第30集
(平成16年度) |
太田 暁子 |
『音曲節名糸章調』について |
p.1-10,121 |
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前原 恵美 |
『宴遊日記別録』考 |
p.11-43,115 |
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大角 欣矢 |
ハルモニアの語りを超えて:音楽学の成立と変遷をめぐる省察 |
p.1-18,119-120 |
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川井 學 |
『四音構造』の考察:ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲群を貫くもの(1) |
p.19-40,114 |
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ローラン・テシュネ; [訳・関根敏子] |
ソルフェージュ:明日のための教育法(1)−19世紀フランスのソルフェージュ− |
p.41-60,122 |
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中嶋 敬彦 |
ケラーとフォンターネ:知覚描写の違い |
p.61-75,116-117 |
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楢崎 洋子 |
武満徹と1960年代:《ノヴェンバー・ステップス》(1967)に至る変遷と時代状況 |
p.77-96,118 |
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樋口 昭; 蒲生 郷昭 |
鞏県石窟寺にみる音楽図像 |
p.97-109,113 |
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第31集
(平成17年度) |
遠藤 衣穂 |
中世末期のミサ曲をめぐる一考察:ギヨーム・ルグランの組ミサを例に |
p.1-18,171-172 |
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片山 千佳子 |
クレオネイデス著 (?) 『ハルモニア論入門』におけるトノスと機能 |
p.19-36,173 |
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川井 學 |
『四音構造』の考察:ベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲群を貫くもの(2) |
p.37-62,174 |
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佐藤 眞 |
ピアノ・ソナタ |
p.63-88 |
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塚原 康子 |
明治30年の宮内省式部職雅楽部 |
p.89-112,176-177 |
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ローラン・テシュネ; [訳・関根敏子] |
ソルフェージュ:明日のための教育法(2)−20世紀フランスのソルフェージュ 第1部− |
p.113-139,175 |
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渡辺 健二;中村 美亜 |
音楽分野における大学評価のあり方:英米の取り組みから学ぶこと |
p.141-168,178 |
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第32集
(平成18年度) |
市瀬 陽子 |
振子式装置が示す18世紀フランス舞曲のテンポ |
p.1-16,168 |
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ジョン・グリブル |
外国人としての異国での生活、読者、そして専門的詩作活動 |
p.17-36,178 |
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園田 みどり |
チプリアーノ・デ・ローレとジャケス・デ・ヴェルト(1):ジョヴァンニ・デッラ・カーサ作のソネット「おお、眠りよ O sonno」を歌詞とする2曲のマドリガーレについて |
p.37-60,171-172 |
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ローラン・テシュネ; 訳・関根敏子 |
ソルフェージュ:明日のための教育法(3)−20世紀フランスのソルフェージュ 第2部− |
p.61-90,173 |
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中嶋 敬彦 |
戦記と恋愛小説 |
p.91-108,169−170 |
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橋本 久美子 |
乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年〜20年:その建学の精神の具現化と社会教育論の実践 (1) |
p.109-140,166-167 |
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伏木 香織 |
加えられたグンデル・ワヤン:バリ島の正月ニュピをめぐる新習慣と村の音の10年 |
p.141-162,165 |
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第33集
(平成19年度) |
遠藤 衣穂 |
組ミサの成立について |
p.1-14,196 |
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尾高 暁子 |
両大戦間期の中日ハーモニカ界にみる大衆音楽の位置づけ |
p.15-34,201-202 |
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加原 奈穂子 |
都市活性化における祭りの創造 : 「おかやま桃太郎まつり」の事例を中心に |
p.35-60,199-200 |
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関根 和江 |
ケーベル先生の「シエルツ」 : 明治31年の音楽会 |
p.61-82,203 |
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園田 みどり |
チプリアーノ・デ・ローレとジャケス・デ・ヴェルト(2):ジョヴァンニ・デッラ・カーサ作のソネット「おお、眠りよ O sonno」を歌詞とする2曲のマドリガーレについて |
p.83-112,204 |
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ローラン・テシュネ; 訳・関根敏子 |
即興 : 内的ソルフェージュ |
p.113-144,205 |
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フベルトス・ドライアー |
《主なき槌》の主 : 分析的な一考察(〈激怒する職人〉を中心に) |
p.145-162,195 |
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花本 知子 |
アントニオ・タブッキ作品の自伝的要素〈父〉について |
p.163-181,197-198 |
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廣田 美玲 |
The Rise of an equal marriage in Pride and prejudice = 『高慢と偏見』における平等な結婚の誕生 |
p.183-191 |
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第34集
(平成20年度) |
大河内 文恵 |
J.A. ハッセのト長調ミサ曲の成立過程について |
p.1-16,216 |
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片山 千佳子; 関本 菜穂子; 安川 智子 |
ダランベール著『ラモー氏による理論的・実践的音楽の基礎原理』に関する考察 |
p.17-38,209 |
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木村 敦夫 |
島村抱月の通俗演劇論 |
p.39-57,210-211 |
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近藤 静乃 |
四天王寺聖霊会における伽陀付物の音楽的考察―現行例を中心に― |
p.59-76,212-213 |
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瀧井 敬子 |
新発見の森鴎外直筆の「オルフェウス」第二訳稿をめぐって |
p.77-94,217-218 |
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ローラン・テシュネ; 訳・関根敏子 |
即興 : 内的ソルフェージュ(2) |
p.95-103,219 |
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橋本 久美子 |
乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年〜20年―その建学の精神の具現化と社会教育論の実践―(2) |
p.105-121,206-207 |
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平井 真希子 |
《オルガヌム大全》研究の歴史と展望 |
p.123-138,208 |
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伏木 香織 |
メディア・コングロマリットによるイメージ戦略―ポップ・バリとローカル・アイデンティティ― |
p.139-156,205 |
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宮内 勝 |
演奏の現象学 |
p.157-172,215 |
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山下 薫子 |
芸術、文化、環境―これからの音楽科教育と教員養成に求められるもの― |
p.173-188,221 |
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渡邊 未帆 |
日本のモダンジャズ、現代音楽、フリージャズの接点―草月アートセンターと新世紀音楽研究所の活動を例に― |
p.189-202,220 |
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満留 伸一郎 |
《離脱》の前後―島尾敏雄《家の中》について― |
p.1-14,214 |
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第35集
(平成21年度) |
大河内 文恵 |
J.A. ハッセにとって完全ミサ曲とは―変ホ長調ミサ曲 (M6) を例にして― |
p.1-16,197 |
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川井 學 |
『対称中心』の思考と耳 |
p.17-41,190 |
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木村 敦夫 |
「大衆」の時代の演劇―島村抱月と小山田薫の民衆芸術観― |
p.43-58,191-192 |
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繻` 亜樹子 |
不等分か等分か?―フランス18世紀音律の色彩、その曖昧さの魅力― |
p.59-73,193-194 |
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齋藤 理恵 |
ピピロッティ・リストの映像作品における実験性からみる今日のビデオ・アートとポピュラー文化との関わり |
p.75-90,198 |
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出口 丈人 |
映画史の史観についての一仮説 |
p.91-106,187 |
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Dreyer, Hubertus (ドライヤー, フベルトス) |
Die Asthetik des "Marteau sans maitre" und Peirce "Ground" = 《主なき槌》の美学とパースの「根底」 |
p.107-124 |
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濱崎 友絵 |
「トルコ五人組」と新しいトルコ音楽―アハメド・アドナン・サイグンの<ボズラク>を例に― |
p.125-140,188 |
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平井 真希子 |
オルガヌムの歌い手たち |
p.141-156,189 |
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毛 Y |
中国伝統箏曲における「八板」の変容 |
p.157-170,195 |
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森田 都記 |
能管における唱歌と音楽実体の結びつきに関する一考察 |
p.171-183,196 |
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鳥谷部 輝彦 |
七仏薬師法における奏楽 |
p.1-16,199-200 |
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第36集
(平成22年度) |
大森 晋輔 |
ピエール・クロソウスキーにおけるタブローの概念 |
p.1-20,204-205 |
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岡田 恵美 |
コルカタのハルモニウム産業にみる都市性 |
p.21-36,203 |
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葛西 周 |
近代日本における楽器展示とその効果 : 内国勧業博覧会を中心に |
p.37-49,201 |
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加原 奈穂子 |
昔話の主人公から国家の象徴へ : 「桃太郎パラダイム」の形成 |
p.51-72,199 |
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上山 典子 |
ブレンデルによるベルリオーズ=リスト=ヴァーグナーの「三人組」概念創出と「新ドイツ派」提唱の戦略 |
p.73-86,200 |
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倉田 賢一 |
Reading Proust with George Eliot = プルーストをジョージ・エリオットとともに読む |
p.87-102,187 |
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三枝 まり |
東京音楽学校における『新歌曲』(1931) 編纂 |
p.103-120,206 |
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佐野 隆 |
Ut, Re, Miの調性でみるコンペールのシャンソン |
p.121-136,207 |
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関根 和江 |
シモン・ゴールドベルク文庫 (1) |
p.137-160,208 |
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中村 美亜 |
<音楽する>とはどういうことか? : 多文化社会における音楽文化の意義を考えるための予備的考察 |
p.161-178,202 |
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橋本 久美子 |
乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年〜20年―その建学の精神の具現化と社会教育論の実践―(3) |
p.179-194,197-198 |
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第37集
(平成23年度) |
木村 敦夫 |
文化政策としての「国民文芸会」の活動 |
p.1-16,220-221 |
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関根 和江 |
シモン・ゴールドベルク文庫 (2) |
p.17-42,229 |
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塚原 康子; 平高 典子 |
海軍軍楽隊長・吉本光蔵のベルリン留学日記 |
p.43-60,230-231 |
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中田 朱美 |
19世紀末イギリスと渡英ロシア人―ロシア音楽受容と人的交流に関する一考察― |
p.61-75,225 |
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成田 麗奈 |
バレエ・スエドワ(1920-1925)と前衛音楽家としての「フランス六人組」イメージの形成をめぐる一考察 |
p.77-94,226 |
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西尾 千尋 |
ビデオアート作品 "Bouncing in the corner No. 1" における行為の分析―ブルース・ナウマンが部屋の隅で見つけたこと― |
p.95-109,227-228 |
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平井 真希子 |
《オルガヌム大全》のリズム |
p.111-125,219 |
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廣田 美玲 |
Variant representations of wealth in Sanditon (『サンディトン』における富の表象―財産継承、投機、植民地からの富―) |
p.127-138 |
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丸山 洋司 |
即興演奏を身につけるということ―シタールの学習と演奏についての一考察― |
p.139-155,222-223 |
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村井 沙千子 |
プロデューサーとしての堀内敬三―日本放送協会における洋楽受容拡大を目指した試み― |
p.157-170,224 |
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山下 薫子 |
音楽教育者としての園田高弘 |
p.171-185,234 |
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吉中 俊貴 |
ハンス・ザックスという政治者―カール・シュミットのワーグナー論についての試論― |
p.187-200,235 |
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和田 ちはる |
時代とともに変わる音楽作品の意味―ハンス・アイスラーの《ドイツ交響曲》のあり方をめぐって― |
p.201-215,232-233 |
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第38集
(平成24年度) |
菅野 将典(雅紀) |
武満徹における「2」と「水」の美学 : 空間語法と時間語法の観点から |
p.1-16,112-113 |
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関根 和江 |
シモン・ゴールドベルク文庫 (3) |
p.17-48,111 |
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高橋 智子 |
音楽の表面、絵画の表面 : M. フェルドマンの《ロスコ・チャペル》をめぐって |
p.49-66,115 |
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土田 牧子 |
女役者という存在とその歴史的位置づけ : 中村歌扇の芸歴を通して |
p.67-85,116 |
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橋本 久美子 |
乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年〜20年―その建学の精神の具現化と社会教育論の実践―(4) |
p.87-104,107-108 |
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ククリンスキ アンドレア (Andrea Kuklinski) |
発話行為と語り : 覚一本『平家物語』の合戦場面における作中人物の話法について |
p.1-19,109-110 |
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杉本 和寛 |
零本『好色閻魔歌舞記』小考 |
p.21-36,114 |
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第39集
(平成25年度) |
植村 幸生 |
東京藝術大学図書館蔵「中樞府重修宴契會圖」にみる十六世紀朝鮮の宴礼楽舞 |
p.1-20,137-138 |
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大塚 直哉; 太田垣 至 |
東京藝術大学所蔵C.グラーフ作ピアノ(No.2627)のハンマーヘッドの革について |
p.21-38,133 |
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木村 敦夫 |
トルストイの『復活』と島村抱月の『復活』 |
p.39-58,131-132 |
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佐藤 文香 |
ゲオルギオス・ラムベレット(1875〜1945)のギリシア民俗音楽観 |
p.59-76,134 |
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関根 和江 |
園田高弘文庫 |
p.77-98,135 |
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平舘 ゆう |
井手茂太のダンス観とダンス・セラピーの交差する眼差し : ダンスがもたらす自由と「その人らしい動き」をめぐって |
p.99-112,136 |
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横山 淳子 |
『恋人の傍ら』における詩と音楽 : ドイツ歌曲の発展とゲーテ |
p.113-128,139-140 |
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第40集
(平成26年度) |
エリック・ヴィエル (Wiel, Eric) |
ゲーム技術を利用したオンライン自習プログラムによる学習者のモチベーションの活性化 |
p.1-9,153 |
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大森 晋輔 |
クロソウスキーにおけるバタイユ : 「神の死」をめぐって |
p.11-29,149-150 |
 |
吉川 さとみ; 歌川 光一 |
戦前期の礼儀作法書における音楽関連の記述およびその変容 : 書誌情報を通じた傾向の把握を中心に |
p.31-49,145 |
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木村 敦夫 |
「痛ましい」人物像の系譜としてのチェーホフ劇 : 『イヴァーノフ』と『かもめ』 |
p.51-70,146-147 |
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塚原 康子 |
日露戦争時の海軍軍楽隊 : 海軍軍楽長・吉本光蔵の明治37・38年日記から |
p.71-89,151-152 |
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橋本 久美子 |
乘杉嘉壽東京音楽学校長の青年期における社会教育的教育観の形成 : 石川県尋常中学校および第四高等学校時代の調査による |
p.91-106,143-144 |
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宮内 基弥 |
小泉文夫の民謡音階について : 東北地方の三味線を題材に |
p.107-124,148 |
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山本 美樹子 |
《ヴァイオリンソナタ第3番 イ短調》(WoO2) 第1楽章にみるR.シューマン晩年の断片的手法 |
p.125-140,154-155 |
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